学会の査読で生成AIを使う際の注意点|事務局が確認すべきポイント

主に社会福祉・教育系の学会に沿った内容です。分野により異なるので参考にしてください。
学会の査読プロセスに生成AIをどこまで使ってよいのか——この問いは、対話型の生成AIが一般に公開された2022年11月以降、国際的な学術出版社の間で急速に議論が進んできたテーマです。Elsevierをはじめとする大手学術出版社が、査読プロセスにおける生成AI利用ポリシーを相次いで公表しており、査読を依頼する立場にある学会事務局にも、対応が求められる実務課題になりつつあります。
ただし、ここで注意したいのは、これらのポリシーの多くは主に国際学術誌(ジャーナル)の論文査読を対象としたものだという点です。国内の学術集会(学会大会)における演題・抄録査読とは、運営主体もプロセスも異なります。本記事ではこの両者を混同せず、国内学会事務局が大会運営の実務として何を押さえておくべきかに焦点を当てて解説します。
この記事を読むとわかること:
- 学会事務局が「査読とAI」に向き合う必要がある背景
- 査読で生成AIを使うことの機密性・著作権リスク
- 主要出版社(Elsevier・Wiley・Springer Nature)のポリシーに見る線引き
- 学会事務局が今すぐできる実務対応
- 査読者向けチェックリスト
なお、国内でも生成AIの利用について著者向けの見解を公表する学会があるなど、学術コミュニティ全体で生成AIとの向き合い方に関する情報発信が広がっています。学会大会の査読運営を担う事務局にとっても、こうした動きを踏まえた準備が実務上の関心事になってきています。
なぜ今、学会事務局が「査読とAI」に向き合う必要があるのか
生成AIツールは、文章の要約・翻訳・推敲を短時間でこなせる利便性から、研究者の日常業務にも急速に浸透しています。査読という業務も例外ではなく、「査読対象の原稿を読み込ませて要点を整理させる」「査読コメントの文章を整える」といった使い方を検討する査読者が出てくるのは自然な流れといえます。
一方で、学術出版の世界では、この動きに対する明確な懸念が先に示されました。Elsevierは公式ポリシーページ「The use of generative AI and AI-assisted technologies in the review process」で、査読プロセスにおける生成AIツールの利用について具体的な制限を明示しています。
参考: Elsevier「The use of generative AI and AI-assisted technologies in the review process」
こうした出版社側のポリシーは、直接的には国際学術誌の論文査読を対象にしたものです。しかし、学会大会の演題・抄録査読を運営する国内学会事務局にとっても、「査読者がAIツールをどう扱うべきか」という論点そのものは共通しています。査読対象の原稿が未公開の研究成果である点、査読者に機密保持義務がある点は、ジャーナル査読と学会大会査読のどちらにも当てはまるためです。
国内の学術コミュニティでも、生成AIの利用に関する見解を公表する学会が出てきています。著者向けの注意として、AIを使って内容を不正に改変することや、査読・審査の公正性を損なうような行為を認めないとする例もあります。
こうした見解は主に著者側の行為を対象としたものですが、「査読・審査の公正性」に触れている点は、学術コミュニティ全体が査読プロセスの公正性を重視している姿勢の表れといえるでしょう。学会事務局としても、こうした流れを踏まえたうえで、自学会としての対応方針を検討する時期に来ていると考えられます。
査読で生成AIを使うことの機密性・著作権リスク
査読プロセスに生成AIを持ち込むことの最大のリスクは、機密保持です。査読対象の原稿は、多くの場合まだ公開されていない研究成果であり、著者の許可なく第三者(AIツールの運営企業を含む)に開示することは、著作権侵害や信頼関係の毀損につながりかねません。
Elsevierのポリシーは、この点について明確な立場を示しています。査読者が原稿(の一部)を生成AIツールへアップロードする行為を禁じており、理由として機密保持および著作権侵害、個人情報を含む場合のプライバシー侵害のリスクを挙げています。
査読者は原稿またはその一部をAIツールにアップロードしてはいけません。査読に関する生成AIまたはAI支援技術の使用は許可されていません。
参考: Elsevier「The use of generative AI and AI-assisted technologies in the review process」
これはElsevier単体の方針であり、すべての出版社・学会が同じ立場を取っているとは限りません。ただし、「査読者が原稿本文をコピーして生成AIツールに貼り付ける」という行為そのものが持つリスク構造は、Elsevierに限った話ではありません。学会が独自に運営するオンライン査読システムであっても、査読者が原稿本文を外部の生成AIツールに入力すれば、同種の機密漏洩リスクが生じうると考えられます。
特に、国際ジャーナルの論文(フルペーパー)査読と比較して、国内の学会大会における演題・抄録査読は、短期間に数十件もの短い原稿を連続で評価しなければならないケースがあり、査読者の負担が大きくなります。「大量の抄録の要約や論点整理だけでもAIに任せたい」という動機が生まれやすい環境だからこそ、事務局からの明確な線引きとガイドラインの提示が求められます。
また、査読という評価をAIに委ねてはならない理由は、機密保持の問題だけではありません。生成AIは特定の言語や研究分野の学習データに偏りがある可能性(バイアス)や、もっともらしい嘘(ハルシネーション)を出力するリスクを抱えています。特定の研究アプローチに対して不当な評価を下す危険性を排除し、査読の公正性を担保するためには、専門家自身による独立した批判的思考が不可欠です。
主要出版社ポリシーに見る「線引き」— 何がOKで何がNGか
査読における生成AI利用については、出版社によって細かなニュアンスの違いがあります。ここでは、公式ポリシーを確認できた3社(Elsevier・Wiley・Springer Nature)の内容を紹介します。ただし、これは3社の確認済みの内容にとどまり、「主要出版社はすべてこの立場」と一般化できるものではない点にご留意ください。
※各出版社のポリシーは2026年9月時点で確認できた内容です。出版社のAIポリシーは非常に速いペースで改訂されているため、実際に対応する際は、常に各自で最新の公式ガイドラインを確認してください。
Elsevier — 査読レポート作成も含め原則禁止
Elsevierは、査読レポートの作成自体を含め、生成AIの関与を原則すべて禁止する立場を取っています。査読という業務に求められる「批判的思考と独立した評価」は生成AIの技術的な範囲を超えており、誤った結論を招くリスクがあるという考え方が背景にあります。
Wiley — 原稿アップロードは禁止、推敲利用は開示が条件
Wileyの査読者向け機密保持ポリシーでは、原稿(図表を含む)を生成AIツールにアップロードする行為を明確に禁止しています。理由はElsevierと同様、機密性・プライバシー・著作権侵害のリスクです。
一方でWileyは、査読レポートの「文章表現を整える」目的での生成AI利用については、完全に禁止しているわけではありません。ただし、その場合は査読レポート内で生成AIを利用したことを明確に開示することが条件になっています。
このようなツールを査読レポートの改善に使用した場合、レポート内で透明性をもって申告しなければなりません。
参考: Wiley「Review Confidentiality Policy」
Springer Nature — リスクレベルで線引きする枠組み
Springer Nature(nature.com)の編集ポリシーは、著者・査読者・編集者の役割ごとにAI利用の可否を分ける、リスクベースの枠組みを採用しています。査読者については、次のように定めています。
査読者は独立した専門的評価に責任を持ち続けます。査読を支援する目的でAIを利用することはできますが、原稿の内容を保護されていない、または公開のAIツールにアップロードしてはいけません。信頼性・透明性のためAI利用を開示し、批評や判断をAIに委ねてはいけません。
参考: Springer Nature「Artificial Intelligence (AI) policies」
ここで注目すべきは、Springer Natureが禁じているのは「保護されていない、または公開のAIツールへのアップロード」である点です。これは裏を返せば、所属機関が契約しているエンタープライズ版のAIなど、入力データがAIの再学習に利用されない(保護された)セキュアな環境であれば、利用が許容される余地を残している(リスクベースの判断)とも読み取れます。
AIの利用環境には大きく二種類あります。無料または安価で一般向けに提供されているAIは、入力内容がAIの改良に使われる場合があります。一方、大学や企業などが組織単位で契約し、ライセンスを所属者に配布して使う有料のAIには、入力内容が学習されない設定のものがあります。専門的な実務の観点からは、こうしたツールの仕様によるリスクの違いも重要な論点です。クローズドな環境のAIまで禁止の対象かどうかは出版社・学会ごとの規定で異なるため、個別に確認が必要です。
3社に共通する考え方
3社の内容を整理すると、次の2点は共通していると考えられます。
- 原稿本文を外部の(保護されていない)生成AIツールにアップロードすることは禁止という立場が共通している
- 査読という評価・判断そのものを生成AIに委ねる(委任する)ことは禁止という立場も共通している
一方で、「査読レポートの文章を整える目的での限定的な利用」を条件付きで認めるかどうかは、出版社によって温度差があります。この違いは、「査読コメントの文章を整える」利用と「原稿そのものを読み込ませて評価・要約させる」利用が別物であるという理解に基づいていると考えられます。いずれの出版社も、後者(原稿の読み込み・評価委任)については明確に禁止する立場を取っています。
学会事務局が押さえるべき「著者側ルール」と「査読者側ルール」の違い
学会運営で生成AIへの対応を検討する際、見落とされがちなのが、著者側のルールと査読者側のルールは目的も適用対象も異なるという点です。
- 著者側ルール(投稿規定): 演題・抄録の執筆にどこまで生成AIを使ってよいか、使った場合の開示義務など
- 査読者側ルール(査読依頼時の注意事項): 査読対象の原稿をどう扱うべきか、機密保持義務との関係など
この2つは混同せず、別建てで整備することが望ましいと考えられます。著者側の投稿規定にAI利用の記載があっても、それが自動的に査読者側のルールを兼ねるわけではないためです。
学会事務局が今すぐできる実務対応
ここまでの内容を踏まえ、学会事務局が実務として取り組みやすい対応を整理します。いずれも効果を保証するものではありませんが、リスクを下げる実務対応の一つとして検討する価値があると考えられます。
学会事務局が整備を検討する対象は、大きく次の3点に整理できます。
- 投稿規定(著者向け): 演題・抄録執筆における生成AI利用の可否・開示義務を明記する
- 査読依頼文・査読者向け案内(査読者向け): 原稿・抄録を外部の生成AIツールにアップロードしないよう明記する
- 問い合わせ対応: 査読者からAI利用の可否について問い合わせがあった場合に備え、事務局内で回答方針を事前に統一しておく
特に査読依頼文・査読者向け案内については、査読依頼メールや査読者向けの案内文に「原稿・抄録を外部の生成AIツールにアップロードしないでください」という一文を明記することが、意図しない機密漏洩リスクを下げる実務対応の一つとして考えられます。
査読者向けチェックリスト — 生成AIを使う前に確認すべき5点
最後に、査読を担当する研究者自身が、生成AIツールを使う前に確認しておきたいポイントを5点にまとめます。これはここまで紹介した主要出版社のポリシーを踏まえた実務上の整理であり、個別学会・出版社ごとに規定が異なるため、実際には自分が査読を担当する学会・投稿先出版社の規定を必ず確認したうえで判断してください。
- 原稿本文・図表・著者情報を含む一切をAIツールへ入力しない
機密保持・著作権侵害・プライバシー侵害のリスクを避けるため、原稿に関する情報は外部の生成AIツールに一切入力しないのが基本です。 - AIが生成した文章をそのまま査読コメントとして提出しない
文章表現を整える目的での限定的な利用を認める出版社もありますが、その場合も自分自身の評価に基づいて加筆修正することが前提です。査読という評価・判断そのものをAIに委ねることは避けてください。 - 学会・出版社の投稿規定や査読者向けガイドラインにAI利用条項がないか事前に確認する
出版社によって、原稿アップロードの可否や開示義務の有無が異なります。査読を引き受ける前に、該当学会・出版社の規定を確認しておくことが望ましいでしょう。 - 利用した場合は学会・出版社が定める方法で開示する
Wiley・Springer Natureのように、限定的な利用を認めつつ開示を義務付けている出版社もあります。開示義務がある場合は、必ずその方法に従ってください。 - AIで推敲した査読コメントの「トーン」と「文脈」を最終確認する
文章を整える目的でAIを利用した場合、コメントが表層的で無難なものになりすぎたり、逆に高圧的なトーンに変換されたりするリスクがあります。自身の意図した建設的なニュアンスが正確に反映されているか、提出前に確認しておくと安心です。
まとめ — 査読とAIの向き合い方は「機密保持」と「評価の独立性」がカギ
学会の査読プロセスに生成AIを取り入れるかどうかは、今後も学会ごとの判断が分かれるテーマです。ただし、Elsevier・Wiley・Springer Natureという主要出版社の公式ポリシーを見る限り、次の2点は共通した考え方として押さえておく価値があります。
- 原稿本文を外部の生成AIツールにアップロードしない — 機密保持・著作権侵害のリスクを避けるための最低ライン
- 査読という評価・判断そのものをAIに委任しない — 査読者に求められる独立した専門的評価は、AIに代替させるべきものではない
学会事務局としては、投稿規定・査読依頼文・問い合わせ対応の3点を中心に、自学会としての方針を整理しておくことが、査読者・著者双方にとって安心できる運営につながります。
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執筆者
平 由紀子
株式会社AGRI SMILE
らくらくカンファレンス カスタマーサポート・セールス担当 / Seeds-Hub コミュニティ運営
年間60件以上の学会運営に関するご相談に対応。学会DXの現場知識をもとに、研究者と企業をつなぐコミュニティ「Seeds-Hub」の運営にも携わる。